三年日記

本当は、2016年から書き始めたのだけど、2016年はほとんど空欄ばかりになってしまったので、2017年も一段目の1年目の欄に書いた。
昔退職祝い?でもらったウォーターマンの万年筆と10年以上ぶりに再会したので、最近は気分良く日記の一段目を埋めています。

2016年の日記には、SMAPのこととか、好きな雑誌の廃刊(実質上の)とか、大事な人との別れについてとか、読み返すとそういう1年だったのかなと思う喪失感ばかりが沢山書かれていました。

わたしはGREETwitterも含め、日記や呟きは全部自分の足跡や記録のつもりで書いているので、数年後とかに読み返すことが多いです。
今の自分との言葉のリズムの違いとか、今のわたしだと絶対書かないようなことを書いているのを見て、恥ずかしいけど書いてあるから比較もできて面白いなとも思う。

覚えているつもりでいても、その時に考えていたことや苦しんでいたのが何かとか、本当の細部は忘れてしまうから、写真よりもありがたい貴重な参考書類です。

ここ数年よく考えるのが、世界線とか、宇宙にあるいくつもの扉の中にある無数の部屋のこと。

自分だけのことを考えても、10年の中でいくつもの世界線を越えて、扉も開けて違う部屋に入ったり出たりした。
去年いた部屋と今年いた部屋は全然違う。
多分今年のわたしが去年のわたしに何かアドバイスしてもあまり冷静に聞いてもらえないと思う。


この10年でちょっとわかったことは、今の自分が考えたり感じたりして作っている今の世界は、そこまで強固な造りをしていないということ。
もしこの部屋を出たいと思ったら、特別なことをしなくても、ちゃんと出られるということを自分で思えたら出られる。

でも人間はというかこの宇宙全部が、いい変化よりも悪い変化に傾いてるみたいだから、いい変化には凄い抵抗が伴っていて、その抵抗でだいたいみんな部屋を出ることを諦めるみたい。
だから一番いいのは、根拠のない自信を一人で勝手に持ち続けること。

周りの意見や世間の流れは、ほぼ全部が抵抗勢力として向かってくるから、あまり気にしてはいけない。

今自分はまた違う部屋に行きたいけど、いつもリアルに苦しい抵抗勢力が表れるから、なかなか行けないように見える。


目指しているのは2020年。
バージョンアップして次に行こう。